名古屋城の縄張は、それぞれの郭が長方形で直線の城壁が多く、角が直角で単純なつくりである。したがって、姫路城のような複雑かつ屈曲の多い構造を好む江戸時代の軍学者には好まれず、ある軍学者[要出所明記]は実際に「縄張宜しからず」と酷評した。
しかし、現代の城郭研究者[要出所明記]からは、名古屋城が築城された江戸時代初期は攻城戦術・技術が成熟しきっていた時期であり、その時点で、徳川氏が大坂方面に対する東海道防衛の最大拠点として位置づけられる名古屋城を、あえてこのような縄張にしたことは考慮すべきことである。当時の名古屋城の築城思想が、篭城戦時の防衛の戦略・戦術をどのように企図し、あるべき篭城戦をどのようにとらえていたかを分析し、判断の材料に加えなければ、縄張の良否を簡単に断言することはできない、という意見が見られる。
構造は典型的な梯郭式平城で、本丸を中心として南東を二の丸、南西を西丸(にしのまる)、北西を御深井丸(おふけまる)が取り囲んでいる。さらに南から東にかけて三の丸が囲む。
西と北は水堀(現存)及び低湿地によって防御された。南と東は広大な三の丸が二の丸と西丸を取り巻き、その外側の幅の広い空堀(一部現存)や水堀に守られた外郭を構成した。
さらにその外側には、総構え(そうがまえ)または総曲輪(そうぐるわ)と呼ばれる城と城下町を包み込んでしまう郭も計画されていた。西は今の枇杷島橋(名古屋市西区枇杷島付近)、南は古渡旧城下(名古屋市中区橘付近)、東は今の矢田川橋(名古屋市東区矢田町付近)に及ぶ広大な面積をもつはずだったが、大坂夏の陣が終わると建設は中止になった。但し、外郭の一部である木曾川には御囲堤という堤防が造られることで、西の防備は整備されている。
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